曖昧になりつつある自転車マナー

2011年3月11日に発生した東日本大震災によって、大きな地震の被害がなかった東京では被災地とは別の問題が起こっていました。

それは交通機関が麻痺したことによる帰宅難民が続出したことです。

東京は都心部ということもあり周辺の関東エリアから通勤や通学で東京に出て来ている人口がとても多いです。

そのため交通機関が麻痺してしまったことで、自宅に帰ることができないという問題が生じてしまったのです。

東京だけでなく、被災地周辺でも帰宅困難となってしまったヒトはいますが、東京ほどの帰宅難民は出ませんでした。

被災地は帰宅難民よりも避難場所に逃げる手段やルートが絶たれてしまった方が深刻な問題でした。

東京で帰宅難民となってしまったヒトは、動きが早いヒトや状況を楽観視しなかったヒトたちは、次の行動を考えて動きました。

自宅が埼玉にあって今日は東京から出るのは無理と感じたヒトはスグにビジネスホテルの1部屋を確保し、万が一の時のためにコンビニに水や翌日の朝ご飯などの食材を買いに出ました。

また学生は、近くの大学の講堂や食堂に避難していたので、帰宅難民というものが発生したときに大学でも避難民の受け入れに限界が来てしまい、後から大学に避難して来た学生を受け入れることができませんでした。

先に大学に避難していた学生は、その日の食事と水分と寝る場所を確保することができました。

大学の教授や准教授は自分たちの研究室で一晩を明かすこととなりました。

鉄道が止まりバスも運行再開が不明となり自宅に戻ろうと思ったヒトたちは、いつ運行再開するか分からない公共機関をあてにするのではなく、自転車屋を探し、自転車を購入して自転車で自分の自宅を目指すことにしました。

企業も社員に対しての誘導が大きく分かれました。

会社からの帰宅が難しいと感じた社員のみに限って会社で過ごすことを許可した企業と、社員全てと余力分の人数だけ部外者である避難民を受け入れをした企業です。

後者の企業は社内の備蓄様の食料や毛布、水などを社員に提供し、少人数とは言えどもうけいれた帰宅難民者にも提供しました。

その頃には自転車屋の自転車は、全ての自転車が売り切れていました。

通学用の普通の自転車が売り切れだと知れば電動機付きの自転車を購入し、中にはマウンテンバイクなどの価格が高い自転車も売れていました。

帰宅難民者の多くは、東日本大震災の翌日辺りから自転車通勤に切り替えたヒトが一気に増えました。

公共機関が運転再開をするのが日付が変わって朝を迎えようとしていた所もあります。

そのため自転車が急激に増えたことで、東京の道路に歩行者、自動車の他に自転車が溢れるという結果を招いてしまったのです。

そのため自転車による事故が急激に増え、中には公道を走行してはいけないブレーキがない競技用の自転車で通勤するマナー違反者も増えました。

そのため急ピッチで自転車専用レーンを設けたり、自転車のマナー違反者に対して罰金を科したりしましたが、帰宅難民の苦労が薄らいできたことで自転車通勤を止めて公共機関での通勤に戻した人もいます。

そうなると溢れていた自転車が急に減ってしまったために、自転車のマナーに目を光らせていた警察もヒドいマナー違反者でなければ注意をしたり、罰金を科せるのを止めました。

そのため一時的に徹底されていた自転車マナーが再びいい加減の日常に戻りつつあります。